タンデム・ロード〜地球一周ふたり旅を夢みて②

祖父のカブから始まった“冒険”が、やがて地球一周のバイク旅となり、ドキュメンタリー映画「タンデム・ロード」へと結実した。バイク旅と人生の交差点で見つけた夢と成長の軌跡を描くストーリー

文/滑川将人

最初の難所は出発前!? 準備に追われる出発前夜

東京の家を引き払い、僕の実家である茨城に拠点を移して二人、バイク(R1200GS)での地球一周旅の準備を始めました。
ルートを亜由美の実家の福島を出発地点として、西周りで地球を一周することにしました。

日本→ロシアに入国、北極圏を経由してユーラシア大陸横断→南米大陸に渡り、南極圏を経由→北米大陸、アラスカの最北端をゴールと定めました。
そのルートに決めた理由は、なるべく陸続きに移動をして、予算を抑える為でした。

当初わりかし難易度が低い北米出発ができればと考えていたのですが、北米にバイクを輸送するだけで大金がかかってしまう。日本と隣接しているロシア、サハリンに入国して、そこからユーラシア大陸横断をはじめの目標としました。

けれども、最初の国がロシアというのも、海外旅行すらまともにしたことがない二人にとって難易度が高いと聞いていたロシア横断は、かなりの不安を抱きました。
(情報も錯綜していて、ヨーロッパまで道がつながっていないとか、シベリア極東は極めて治安が悪いとか。どこまで走っても道しかないとか。何を信じてよいやら、、、)

半年の準備期間中、バイクの購入、備品の吟味(調達)、保険、ビザ取得、予防接種、最新の情報収集。
どういった基準で何を準備しなければならないのか。経験者に直接会って、お話を聞くのが早いと思い、ワールド・ツーリング・ネットワーク・ジャパン(WTN -J海外ツーリング経験者が集い講演会や海外ツーリングに関する様々なベントを主催)に参加して、リアルな情報収集を行いました。

WTN -Jでの出会いをきっかけに僕たちと旅のスタイルが近い、パートナーとバイク旅をしていた冒険者の方々に直接連絡して、図々しく「ご自宅に泊めてください」とあゆみと泊まりに行ったりしました。

体感としては、気づくと「あ、やばい明日出発しなきゃ」といった感覚で、福島を出発することになりました。
準備が追いつかずに徹夜で走行して北海道、稚内に到着、慌ててサハリン行きの船に乗り込み、不安を感じる余裕すらありませんでした。

意識を取り戻すと、バイク一台と冒険者レベル0の二人がサハリンの港町に佇んでいました。
亜由美が「私たち、リアルにカモがネギ背負ってる状態だね・・・」と呟いていました。

聞きなれない言語、明らかに違う人種、レーニンの壁画や見たことのない建造物。
普段の自分達の日常のすぐ隣にこんな異世界が広がっていることに驚愕しました。
「戻れないところまで来てしまった・・・」まさにファンタジーの世界に迷い込んだ気持ちです。

ドキドキしながらバイクに二人またがって、バイクのエンジンを始動させます。やがて、走り出して身体中に感じるサハリンの風が、僕たちの冒険が始まったことを告げました。抱えていた不安を通り越えて、ヘルメットの中で急に笑いが止まらなくなりました。

「なんだこれ・・・バイク旅、楽しすぎる・・・」

僕たちの旅を支えてくれた装備

僕たちの車両R1200GS(2004年式)は基本ノーマルです。予算も少ないので必要最小限の装備です。
ホンダNSR250でユーラシアを横断したというライダーに出会って話を聞いて、過剰な装備は必要ないと考えました。

今回の世界中を周ることになる、バイク旅の中で、個人的に「とても助かった」「役にたった」なと思う装備BEST5をご紹介します。

バイクに積載できる量は、車に比べれば、圧倒的に少ないです。しかも僕たちはタンデム走行なので、後ろに人も乗り、撮影もしなければなりません。燃費にも関わるので、持ち物は出来うる限り削らなければなりませんでした。

第5位  登山靴&シフトガード(ラフ&ロード)

道なき道を走りたいと考えていた僕は、オフロードブーツにすべきか操作し慣れた登山靴か、かなり迷いました。
オフロードブーツの利点はなんと言ってもプロテクション機能の高さです。アタカマ砂漠(チリのアンデス山脈と太平洋の間に広がる海岸砂漠)の奥地で足を折ったなんていったら二人もろともアウトです。

逆に問題点となるのが、かさばる、歩きづらい(重い)、一度中まで濡らしてしまうと扱いも大変です。そして高価。
僕たちのスタイルはタンデムで、積載量も多いうえに操縦テクニックもないのでそんな無茶な走りはできません。野宿キャンプもある程度想定していたので、動きにくいと相当な負担になります。

世界を旅したライダーの方々にも意見を聞いたら、全会一致で登山靴推し。僕たちの旅のスタイルでは結果、大正解な選択でした。

4位 グリップヒーター

R1200GSに標準装備されていたものです。当初は「こんな装備もついてるんだ・・・」くらいのものでした。バイク旅は、気候との戦いと知りました。一週間、雨の中を走らなければならないこともありましたし、首がもげるんじゃないかという風の日もあります。僕たちは、北極圏、南極圏も目指したので一番の強敵は寒さでした。

寒さは我慢ができないのです。グリップヒーターが無ければ、旅の行程も相当変更を余儀なくされたと思います。

第3位 DEENの小型工具セット

大きな故障は無理! と腹をくくっていました。サポートカーなんて存在しません(ユアン・マクレガーは医者を同行させてバイク旅をしていましたが笑)。

主に活躍するのはオイル交換の時です、アンダーガードを外したりと。この工具セットがキャンプ用具から全ての備品のメンテナンスを賄ってくれました。今なお大切な相棒です。

2位 ガーミン (オープンストリートマップ)

バイク用ナビです。ガーミンの良いところは、世界中で手に入りやすいうえ、オープンストリートマップを移植できたからです。オープンストリートマップは地図版のウィキペディアと呼ばれていて、世界中の人達が投稿して制作しているマップです。

地図のないモンゴルの大草原をナビしてくれた時は世界一詳細な魔法レベルのマップだなと感じました。
ある冒険者にはバイク旅にナビなんて邪道と言われましたが、僕たちの旅は、安全面に重きを置いていたので予定通りにその日の宿泊場所に到着できることは重要なことでした。僕たちはガーミン先生と呼んでました。

1位 パニアケース3点(ツラーテック)

一番奮発した装備です。家財道具一式を積み込まなければなりません。積載量を激的に増やしてくれて、電子機器も多かったので、中身も守ってくれます。トップケースはタンデムしている亜由美がもたれられるので疲労軽減にもなりました。

そして搭乗者、車体自体のプロテクション機能にもなります。特にオフロードでは何度もバイクを倒してしまいます。トータルすると400キロを越える車重、世界一頑丈な(滑川感)パニアケースがクッションの役割をしてくれます。あわやという時でも、何度となく助けられました。ヨーロッパ西部に到着した頃には流石にパニアケースも歪んできていたのですが、ドイツ、ツラーテック本社に立ち寄ったら、新品のケースをプレゼントしてくれました。

極め付けは、治安の良くないドミトリーに宿泊しなければならない時にはケース3点を鍵で繋ぐと頑丈な金庫の役割もしてくれます。結果、よく聞く宿泊地での盗難はゼロ。

ひとりの少女が示してくれた「僕たちの進むべき道」

夜の10時なのにまだ空がうっすら明るい、陽が沈まない。サハリンからロシア本土に渡るオンボロの旅客船に乗り込みました。船内には日本語のプレートが至る所に残っていて、相当に古い昔に日本の航路を運航していた払い下げ船であることを物語っていました。

船内でひとりの少女と出会いました。日本のアニメが大好きとジェスチャーしてきました。名前はナターシャ。

子供の頃から亜由美は絵を描くのが好きで、画を描くことを仕事にもしています。

人見知りでコミュニケーションが苦手な亜由美は、バイク旅で絵で人と交流したいという思いを持っていました。早速、創作作業に入った亜由美は絵を描き上げると、ナターシャの所に行って絵をプレゼント、とても感激してくれました。

本土に到着し別れ際、連絡先をもらいました。その連絡先を頼りに少女の住む街を目指しました。400キロのダート走行を経て1000キロ西に進みブラゴヴェシチェンスクの街に到着。同じような団地が連なっている町で道に迷っていました。

するとナターシャたちが僕たちを見つけて、駆け寄ってハグしてくれました。彼女の母親はサハリンで教師をしていて、その里帰りをしていました。

家に招待してくれて、数日間滞在させてくれました。温かいボルシチ、家族の団欒。なれないバイク旅で、疲弊していた僕たちを、心から癒してくれました。

お世話になっている間も、ナターシャと亜由美は言葉は通じませんが、互いに好きな絵を描きあっていました。亜由美が紡いだ縁でした。

ナターシャとの出会いは、僕たちふたりのバイク旅の進むべき方向を示してくれるものでした。こういった人との出会いが僕たちの旅の形になるのだと。

まさに、この少女は僕たちの女神のような子でした。

ドキュメンタリー映画「タンデムロード」2025年6月13日 全国ロードショー

映画監督 滑川将人さん
茨城県の山間で育ち、幼少期より祖父のバイクで自然の中を走る体験を通して「冒険」の感覚を育む。3歳のとき、祖父との遠出中にその死を目の当たりにし、一人で山道を歩いて帰った記憶は、映像表現の原風景となっている。
地元には映画館がなく、図書館のビデオブースで観た『スタンド・バイ・ミー』が映画制作を志すきっかけとなる。上京後、映像業界に入り、映画監督として活動を開始。
バイクとテントを携えた旅をライフワークとし、旅先で出会ったアユミと共に、バイクで世界を巡る旅をスタート。人生と風景が交差する瞬間を、映画を通じて描き続けている。

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