
【納屋 望|レジェンド オブ オフロード】スズキファクトリーからダンロップタイヤ開発へ。誰にも負けないテスト数をこなして見えてきたこと
競争の激しさ、ファクトリーの厳しさも 大怪我の辛さも身に染みている。レースに邁進した日々の先に タイヤ開発業務の道が開けた。ひとつずつ取り組む。決して諦めずに取り組む。父はそれを息子に背中で伝えたい。
ジュニア時代、東北勢の速さに驚き発奮
4歳の誕生日に父がPW50をプレゼントしてくれた。
「父も選手権ライダーで、おそらく今のIBくらいだったと思います。僕にも乗せたかったんでしょうか、とても嬉しくてよく乗りました。」

小学5年でジュニアライセンスを取ると、地元秋田を中心に東北の地方選手権を走った。
「加賀真一君とは秋田県で年も同じで、ちっちゃい頃から真ちゃんと一緒に走りました。お互いに比べられ、怒られ(笑)、いいライバルでした。その頃は国際A級になりたいという漠然とした夢はありましたが、どちらかというと遊びの延長な感じで、レースへ行くと真ちゃんに会えるし一緒に遊べるのが楽しい、そういう感じでした。たぶん父も、僕がA級になれるとも思ってなかったでしょうし。ジュニアで一緒に走った成田亮君、熱田孝高君や兄貴の高輝君など、同じ東北でも青森や宮城のライダー達が速すぎて、まったくかなわなかったです。」
ひたすら乗り込んだ。速いライダーを見つけては追いかけた。14歳でスズキのサポートを受けるようになり、以降バイクは現役引退までスズキで貫いた。
「色々世話してくれた方たちへの感謝があります。他メーカーからの声掛けも何回かありましたが、スズキは居心地が良かったんです。」
A級初年の97年、18歳の納屋はスズキのサテライトTeam SRF Sportに抜擢され125ccクラスに参戦、最終戦の桶川でA級初優勝を飾った。
「監督は松田強さんでした。SRF入りも、強さんの後押しが結構あったと思います。強さんが現役の頃から大ファンでしたし、僕の師匠です。強さんから言われたことで印象に残っているのは『一個ずつ上がろう。』です。無理しない、焦らないで、ひとつずつ。


最終戦でやっと勝てました。スタートから出てぶっちぎりました。ラスト2周で勝ちを意識したら緊張して、チームメイトの高須庸市君に2秒差くらいまで詰められましたけど(笑)。庸市君とはよく競り合ういいライバル関係で、仲もいいですが、最終戦の前の弘楽園で庸市君が先に優勝した時は悔しかった。桶川は僕が1位で庸市君が2位、チームでワンツーでめちゃくちゃ嬉しかったです。それまで僕は2位になるレースが多くて、勝てそうで勝てない。せっかくトップを走っていても勝ちが見えてくると、とにかく目一杯行かないとと思って転倒したり。周りがみんな速いので自分は勝てると思って走っていなかった。思えば若いレースをしていましたね。」
その97年はランキング4位を獲得、翌98年はファクトリー入りを果たして250クラスにステップアップ、注目の若手として期待された。
「表彰台には行けるんだけれど、そこまでは行けると勘違いして無理をする。本当によく転ぶライダーだったなと。その後も怪我ばっかりで1シーズンを全うできた年が少なかった思い出です。」
ワークス最後の年となる01年にも手首を骨折し、全日本瀬戸大橋大会でレースを走れず海を眺めていた納屋に、声をかけた人物がいた。ダンロップで当時モトクロス担当だった松村貞彦氏である。
「前の年まで契約のタイヤがブリヂストンだったんですが、01年からダンロップになった。自分は素直な性格なので、ダメだと思うところをめちゃくちゃ言ったんです。タイヤが悪いですよと言っているライダーなのに、松村さんは『一緒にタイヤを良くしていこうよ』と言ってくれました。02年からはダンロップでレース契約とテストライダー契約をしてくれて、それで05年の現役引退と共にダンロップのテストライダーへ移行させていただきました。

オフのテストライダーの仕事は顧客が見えるので問題点や改善点が見えやすい反面、成果もダイレクトで届くのでやりがいがあります。当時テストライダーは僕だけだったので、とにかく沢山のテスト数をこなしました。今は後輩A級ライダーの鈴村英喜君が入社してレースに帯同しているので、沢山のことを吸収して次のダンロップタイヤに反映してもらいたいと思っています。今もたまに『納屋君が判断してね』と言われてテストライドをしますが、基本的に実走は鈴村君に任せています。数をこなして成長してほしいです。」
全日本モトクロス会場では、長男の碧選手(16歳・TEAM HAMMER・IBオープン・#75)のピットクルーとしてサポートに徹する。
「以前、子供用の電動バイクに乗せてみたら面白かったのか、ずっとモトクロスを続けています。子供への特別な期待はありません。大きな怪我の無いように指導はしていますが、自分なりに一生懸命やり考えて、悔しさや楽しさを実感して成長してくれたらいいなと思っています。全日本に参戦している間は、僕は全戦サポートですね。」

父から息子へ、レースでどういった言葉をかけるのか。やはり自身の経験からくる言葉なのだろうか。
「僕が強さんから言われた『ひとつずつ。』、そしてSRM時代にコーチだった宮内隆行さんから言われた『諦めない。』を子供にも言います。これはモトクロスだけでなく、何をやっても大事なことですね。
そして、やっぱりモトクロスの面白さは、できることをしっかり実感できるところ。チャレンジして失敗して、なんでだろうと考えてまたチャレンジしてを繰り返して、最後にとうとうできるようになる、そういうプロセスが個人競技の中でもモトクロスは結構明確かなと思います。車両の違いはもちろんありますが、それよりもライダーの技量の割合が大きいと思うので、言い訳ができない。そういうところも僕は面白いなと思います。」(文中敬称略)


