
砂とバイクとモノづくりの世界が失いかけた人との繋がりを取り戻す勇気をくれました|バイク日和・版画家アーティスト MIZUKIさん
幼い頃からバイクが生活の一部にあったというMIZUKIさん。どこか他人と馴染めず、不登校気味だったという中学時代を乗り越えて、父にとともにダートを走りまわり、モノづくりにも没頭。初めてのソロツーリングでは往復1200㎞を走破した。人との繋がりを取り戻し、好きなバイクと創作の世界を広げている
幼い頃から身近にあったバイクとモノづくり。
「バイクは物心ついた頃から身近にありました。父がバイクに乗っていて、保育園の送り迎えはずっとバイクだったんです(笑)」
バイクへの親しみを語るのは、版画家・アーティストとして活動するMIZUKIさん。父親は横浜市で「バディカスタムサイクルズ」を主宰する福田收男(かずお)さんだ。愛車のハーレーダビッドソンのWLで、ダートトラックレースやサンドフラッツレースに参戦し、好戦績を収めていることでも知られている。

中学2年生だったMIZUKIさんは、関東近県のダートコースで、父の福田さんのホンダXL100Rを借り、ライディングの指導を受けながら練習に励んでいたそう。写真は群馬県のモトフィールド榛名でおこなわれた「フラットトラックオープニングパーティー2019」に参加した時の一枚。自分でカスタムする父や兄の影響を受けて、自分でバイクに絵や文字を描くようになったという。ゼッケンの66の番号もMIZUKIさんによる手描き
そんな父親から影響を受けてMIZUKIさんも小学生の頃からオフロードバイクに乗るように……。中学生になると、ダートの練習走行会にも参加するようになったという。「家族で川越や榛名へ行ってダートを走ってました。ぐるぐる走り回ってるだけでしたけど(笑)。『滑らせてコントロールする』感じが楽しくて!最初は怖かったけれど、少しずつ慣れていきました」



幼い頃はダートコースを「ぐるぐる走り回るだけ」と言っていたMIZUKIさん。18歳の時に参加した川越オフロードヴィレッジで開催された「2024 New YearFLAT TRACK!! by HAVEFUN!!」では、大人と張り合うほどにライテクも上達。今でも父の福田さんはよきライディングの先生だ
その頃に乗っていたのは、父親のホンダXR100R。小柄ながらも父親の指導のもとで、メキメキとライディングテクニックを上達させていった。


現在の愛車はホンダFTR250 の1986 年モデル。カスタムした福田さん曰く、「街乗りバイクをフラットトラックレーサーにするのではなく、フラットトラックレーサーを街乗り仕様にすること」がテーマだそう。公道を走って行ってそのままダートコースを走れるのがポイント
一方で、MIZUKIさんが夢中になっていたのがモノづくりだ。「もともと図工が好きで、小さい頃から何かしら作ってました」
中学生の時、同級生と馴染めずに不登校になってしまったというMIZUKIさん。進学するために部活を頑張りながら、創作活動に力を入れるようになっていった。「部活を引退したら力尽きてしまって、中学3年生の卒業前くらいから特別支援教室みたいなところに通いながら、アクリル絵の具でTシャツに絵を描いたり、学校の校長室とか図書室で使うスタンプを版画で作ったりしてました」

版画家、アーティストとして活動しているMIZUKIさんが主にモチーフにしているのは、ダートトラックやサンドフラッツ、ヒルクライムなどのオフロードレースや、それらにまつわるモーターカルチャー。手にしているのは一色刷りの版画から絵の具で着色し、多色刷りのように仕上げる彩色版画で、力強くも温もりのある独特な風合いが魅力となっている
そんな折、ダートトラック走行イベント「ハブ・ファン!!」を主催する「チーターカスタムサイクルズ」の大沢俊之さんから、イベント時の入場証に使用するリストバンドの制作依頼が舞い込んだ。
「チーターさんって呼んでいるんですけど、私がモノづくりが好きなのを知っていて、『やってみれば?』って声をかけてくれたんです。自分の作品で初めてお金をもらいました。黄色い封筒で受け取ったことを今でも覚えてます」

ダートトラックイベント「ハブ・ファン!!」を主催する大沢さんが、参加証のリストバンド制作を、当時中学3年生だったMIZUKI さんに依頼。バンドの中央にDAY1、DAY2、CAMPとタイポグラフィを施し、端にキャラクターのスタンプをレイアウト。初めて自分の作品がお金になった記念の写真は大切に保存している
失いかけた人との繋がりを取り戻してくれた存在です
その後、無事中学を卒業して通信制高校に進学。高校2年生の時には念願の二輪免許を取得した。「17歳になってすぐに免許を取りました。行動範囲を広げたかったんです。バイクさえあれば、遠くまで行けるって思ってました」その時に手に入れたのが、現在の愛車ホンダのFTR250だ。「ちょうど知人が手放すっていうのを譲ってもらって、父がカスタムしてくれました」
カスタムのモチーフとなったのは、アメリカホンダが’80年代にAMAのダートトラックレースに投入したファクトリーレーサーNS750だ。灯火類にLEDを採用し、公道を走って移動し、そのままダートコースでも走行できるところがポイントだ。
MIZUKIさんはこの新たな相棒と初めてのソロツーリングに挑戦!その年の10月に石川県で開催されたビーチレース「千里浜サンドフラッツ」が目的だった。「いつもダートを一緒に走っている知り合いがレースに出るので、どうしても観に行きたくて1人で行ってきました。片道600㎞ぐらい。昼に出発したのに友人のいる富山に着いたのは、夜の11時を過ぎていました。北陸自動車道は真っ暗で、雨も降ってきて、寒くて……まるで修行。すごく怖かったです(笑)」
レース当日、天気はいまいちだったそうだが、無事知人が走るのを観戦することができたそう。それから知人たちと別れ、帰りも一人で走ったという。
「途中で石川名物の『8番ラーメン』を食べて帰りました(笑)。とにかく達成感がすごかった。いつも父ちゃんにくっついて行ってたから、一人でああいう場に行くのは初めて。でも、普段話さない人とも話せたし、すごく刺激になりました。一人旅をして自信がつきました」
その後、ダートトラックやヒルクライムレースにライダーとして挑戦。スタートを合図するフラッグガールも務めるようになり、年齢や性別関係なく、信頼できるバイク仲間が増えていったという。
「フラッグガールをやるようになってから友達が増えて、レースやイベントがもっと楽しくなりました。スタートの合図を出す役だから、みんなが自分を見てくれているのが分かってめっちゃ緊張します。スタート前は心臓がドキドキです(笑)」

チェッカーフラッグでライダーにスタートの合図を知らせるフラッグガールたちは、レースを盛り上げてくれるイメージガール的存在。今年、茨城県の大洗で開催された「サンビーチサンドフラッツ」では、MIZUKIさんもフラッグガールを務めた
昨年は埼玉県川越市で開催されたVMXラリー「ヘル・オン・ウィールズ」でフラッグガールをしたのをはじめ、長野県の飯綱で開催されたヒルクライムレース「ノーボーダー」ではライダーとして参戦。今年は茨城県の大洗で行われたスピードレース「サンビーチサンドフラッツ」でフラッグガールも務めている。ちなみに同レースでは、父親の福田さんがハーレーのWLで参戦。45クラスで優勝を果たしている。

父親の福田さんが愛機のWLレーサーで「サンビーチサンドフラッツ」に参戦。主に1951年までのハーレーダビッドソンWL、1953年までのインディアンスカウト、500㏄アイアンヘッドエンジンを搭載したトライアンフなどを対象としたクラス45で、見事優勝。前回に続いて連覇を果たした
「バイクのことも勉強中で、自分のバイクの整備やオイル交換や、プラグ交換、エアフィルターくらいまでは自分でやってます。基本は父が教えてくれるんです。兄も聞いたらたまに教えてくれますけど、あまり応えてくれない(笑)」
乗り手としてはもちろん、愛車の整備についても、父親がよき師匠となっている。一人でハイエースにバイクを積めるように練習し、今ではXR100Rなら1人で積めると自信たっぷりに語る。
また、「ハブ・ファン!!」のイベント参加証となるリストバンドの制作から始まったアートワークの世界も、活動の幅が広がっている。MIZUKIさんの作品が、バイク雑誌の表紙や挿絵に採用されることもしばしば。アパレルやグッズを制作したり、ヘルメットやタンクのペイントなども手掛けている。
「もともと人見知りで、あまり話す方じゃなかったんですけど、バイクに乗るようになってから、年齢や性別も関係なく人と話せるようになって、それがキッカケで明るくなったと思います。バイクを通じて人間関係も広がりました」
失いかけていた他者との繋がりを取り戻し、社交的になったと語る。今では積極的になり、やってみたいこともたくさんあるという。
「もっとレースに出たい!『千里浜サンドフラッツ』とかのスピードレースに挑戦したいですね。あとダートトラックも。今年も『ノーボーダー』にエントリーしました!それと創作の方も頑張りたい。機会があれば個展もやってみたいです」






