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【カタナ専門ショップ・ユニコーン③】神戸ユニコーン、横浜へ。GSX1200Sの発売

(BikeJINvol.234 2022年6月号より抜粋)

阪神・淡路大震災を皆さまのおかげで乗り切った翌年、つまり96年に当時の「神戸ユニコーン」は神奈川県横浜市に移転しました。

じつは地震の前から、関東地方の拠点として横浜オフィスを構えていたのですが、それには理由があって、93年に2店舗目へ移転して以降、関東のお客様も増加。あの当時はバイク乗りもまだ若かったし、漫画「ケンタウロスの伝説」に描かれた、横浜から神戸までコーヒーを飲むためだけに日帰りツーリングする“600マイル・ブレンド”なんてエピソードも知られていたので、「東京から来ました!」と、カタナのメンテナンスやカスタムの相談で来店するお客様も多かったんです。やはり商売として有利なのは首都圏だろう……と、すでに横浜事務所を開設していたのですが、思惑通り関東からのご来店でカスタム依頼やパーツ販売では関東での売上比率が半分以上に。最終的には「ナンバーワンになるなら関東に行かないとダメだ!」と判断して、工場も含めた全移転を決意したわけです。

当時はまだインターネットも発達していないですし、例えば首都圏の最先端トレンドと比べると地方は年単位で遅れていました。一方で、ハーレーダビッドソンの分野を除けば、どのバイクカテゴリーでも関東圏でトップならそれはもう、おそらく世界でもトップという感覚。ですから、関東に移転することにはなんの躊躇もありませんでした。

とはいえ、東京都内への移転は考えておらず、神戸と同じ港町という居心地のよさから横浜を選択。神戸のお客様には本当に申し訳ない気持ちでしたが、それこそまだ若かったから、「なんかあったら横浜来てね」という感じでした。

横浜市戸塚区にあった3店舗目。ショップというよりは完全にファクトリー状態で、オリジナルモデルやパーツの製作などを精力的に続けていた

そして横浜に移転して間もなく、さらなる転機が訪れます。あるときスズキの営業企画担当が訪ねてきて、「発売されたばかりのイナズマ1200をベースに、カタナを製作してほしい」と。これは社内コンペ用のモデルだったのですが、最終的に発売が実現されず……。「それならウチで販売までもっていこう!」と、ユニコーン製モデルとしてGSX1200Sの発売に至ったのです。ちなみに神戸ユニコーンではそれ以前にも、DR250Sベースのモタード仕様(当時まだカテゴリーすらなかった)をはじめ数台のコンプリート車両を開発して発売しています。

こちらは、スズキの名物エンジニアだった故・横内悦夫氏の愛車だったGSX1100S カタナ。GSやGSXシリーズを手がけた横内氏も、GSX1200S を「まぎれもないカタナ」と評した

イナズマ1200は、油冷エンジンをダブルクレードルフレームの適正な位置に搭載し、当時の標準的な足周りを備えたモデル。よりスポーティに走れるカタナを製作するのに、適した存在でした。750や400と車体が共通化されていたので、GSX400Sカタナの燃料タンクなら簡単に装着できることは想像できましたが、オリジナルのディテールにこだわり、当初からGSX1100Sカタナの外装類をベースに設計。神戸ユニコーンとして発売するにあたり、テストを繰り返して走安性などを検証してから自社生産モデルとして発売しました。

1200カタナの開発ストーリーは、ブログ(「ユニコーン社長のカタナ徒然ブログ。」で検索して09年10月13日の記事へ)に掲載しています。

このGSX1200Sは、1店舗として考えると爆発的にヒット。1年ほどで限定数の50台を完売し、累計では約400台もの販売を記録しました。なにせ、浜松のスズキ本社まで呼ばれて表彰されたほど。「日本一イナズマ1200を売った男」として……。まあ、売っていたのはイナズマではなくカタナだったのですが、スズキから見ればそういうことになりますね。

GSX1200Sの生産は20年に終了したが、ユニコーンジャパンでは現在も、スズキから権利を得て数々のカタナオリジナルグッズを製作している

こうして、横浜への移転と自社生産モデルの製作により、神戸ユニコーンの活動は再び新章を迎えたのです。

ユニコーンジャパン代表:池田隆さん
専門的二輪車の世界には道を突き詰める楽しさあり!スズキ・カタナシリーズのスペシャリストとして活動する横浜市のユニコーンジャパンその代表を務める池田隆さんは極めて豊富な経験と知識を持つ世界最高峰の“刀職人”だ

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