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’03年1月、初代編集長に就任

あの頃の培倶人
2017年の10月で創刊15周年のBikeJIN。ワタクシNomが編集長として加わったのは、創刊した翌年の1月、Vol.3からでした。

どんな本もそうだと思いますが、創刊したての雑誌の編集部というのはあらゆることが混とんとした状態にあって、それが月日を重ねるごとにある一定の方向に落ち着いてくるもの。創刊して2冊本が出たばかりでしたから、編集長とは言っても中途参加のボクはこの本が目指しているものは何かを探りながら日々の業務をこなしていたように思います。

そんな培倶人黎明期から、2代目編集長のワディにバトンを渡すまでの6年間にはさまざまな出来事がありました。いまとなってはすべていい思い出ですが、当時は何日も何日も悩んだり、決断した後になって間違いだったのではと思ったりと、苦しい日々もありました。もちろん、それらを上回る楽しいこともイッパイあったんですけどね。

BikeJINウェブサイトがリニューアルして、BikeJIN Membersという新しい会員組織を作ることを決めたとき、会員の方々だけに楽しんでいただけるコンテンツを用意しようと思い立ち、ボクが編集長だった頃に起こったアレコレを綴ってみました。

今やバックナンバーも手に入らない昔の話ですが、当時からの読者の会員の方には懐かしがってもらえたら、そして当時を知らない会員の方には創刊当時の培倶人の息吹みたいなものを感じてもらえたら嬉しいです。

44歳の新人、ドキドキしながらの出社でした……

2002年10月に創刊した培倶人は、今年で創刊15周年を迎えます。ボクが初代編集長として本誌に加わったのは2003年1月。それまでは編集長不在で、ボス・ネモケンが実質、編集長業務をしていたのです。

2003年の年始の出勤日。新しい会社、新しい編集部ということで、44歳の新人はちょっとばかりドキドキしながら出社したのを覚えています。

入社手続きや社内挨拶などが終わって、夕方前にやっと編集スタッフを話をする時間が持てました。当時のスタッフはわずか2人。男性のSと女性のA。近々アルバイトが1名加わることになっているとのことでした。

ボクを心待ちにしていた理由とは

SとAに自己紹介をして、すでに編集作業がスタートしていた創刊3号の企画を確認しようとしたらAがこう言いました。

「私たち、編集長が来るのを心待ちにしていたんです」
(そりゃそうだろうな、2号も編集長不在だったんだから)

「編集長、お子さんが、娘さんがいらっしゃいますよね?」
(いるけど、なんでそんなこと聞くんだ?)

「娘さん、何年生ですか?」
(小学5年生だけど、なんで?)

「バイクの後ろに乗ったことあります?」
(そりゃあ、何度もあるけど……)

「私たち、親子ツーリングを企画してたんですけど、なかなか取材に協力してくださる方がいなくて困ってたんです」
(ん?)

「だから、ボスから編集長が決まったって言われて、すぐに『その人、お子さんいるんですか?』って確認したんです。いるはずだって聞いて、ヤッター!と」
(ん? ん?)

「だから、3号で親子ツーリングを企画して、編集長が来るのを心待ちにしてたんです!!」

親子ツーリング

手強い編集部だと痛感

ボクに期待されていたのは、一冊の本を仕切る編集長業務よりも、親子ツーリングの出演者だったのです、少なくともスタッフのAにとっては……。

前の年まで編集長をしていた他社のバイク誌では、かなりワンマンな剛腕編集長と自他ともに認めていただけに、これはなかなか一筋縄ではいかないスタッフのいる、手強い編集部だと痛感した瞬間でした……。

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