ベテランこそ危ない?ツーリングで忘れたくない“魔が差す”瞬間|ハーレー和尚のバイク説法「不慣れ」

春の陽気に誘われてバイクシーズンが到来。しかし、運転に「慣れた頃」こそ最も危険なタイミングです。本瀧寺のシュウケン氏が、自身の経験を交えて説く“魔が差す瞬間”とは?今一度、安全運転を見直すきっかけにしてください
BikeJIN2025年5月号 Vol.267掲載
「魔が差す」とは?仏教に学ぶ油断の怖さ
本瀧寺のシュウケンです。寒さも和らいで、春らしさが増してきました。皆さんがこの本を読まれる頃には、4月になっていることでしょう。4月と言えば新年度の始まりで、新生活など新しいことを始める人も多いかと思います。じつは私もバイクを乗り換えて、新しい愛車とのバイクライフがスタートしました。新しいと言っても、20年以上前のバイクで、縁あって以前所有していたハーレーのエヴォリューションに再び乗ることになりました。一度乗ったことがあるとは言え、まだまだ運転には不慣れで、いつも緊張しながら乗っています。どこかバイクに乗り始めた時のことを思い出したりします。

悪事を行なった時に、その理由でよく「魔が差した」と言う人がいます。“魔が差す”とは、仏教用語が由来となった言葉なのです。“魔”とは、“魔羅(マーラ)”と言う仏教の悪神のことを指します。この悪神は、人の善事などを妨げる煩悩の化身で、僧侶たちの修行の邪魔をします。お釈迦様が悟りを開くために禅定に入られた時、この“魔”が現れ、さまざまな誘惑や妨害で、瞑想を妨げようとしました。それらすべてに打ち勝って、お釈迦様は悟りを開いたとされています。
新しいことを始めた時や、新しいことにチャレンジする時、慣れるまではとても緊張し、いろいろと苦労することも多いでしょう。しかし、そういう時は意外にも“魔”は現れたりしません。物事に少し慣れ始めてくると、自然と緊張も和らぎます。“魔”は、その一瞬とも言える隙に突然現れるものです。恥ずかしながら私もそうでした。
バイクに乗り始めた頃は、緊張の連続で、とにかく運転だけに集中して、なにかを考える余裕などありませんでした。でも、ある程度運転に慣れ始めてくると「確か今日はなになにの用事が入っていたなぁ」など、バイクに乗りながら、運転とは関係ないことを考えたりしていました。幸いなことに事故などを起こすことはありませんでしたが、今から考えると“魔が差して”いたのでしょう。
バイクの運転に限らず、仕事や勉強など物事が上達することは素晴らしいと思います。けれども、同じように見えて、上達と慣れはまったく別物です。ミスやトラブルの多くは、“慣れ”からくる油断が原因だと聞きます。仕事や勉強の失敗は取り返すことはできても、バイクはそうはいきません。ベテランのライダーであっても、一瞬の気の緩みで事故を起こすことがあります。その一瞬の隙で、これまで大切にしてきたものすべてが奪われるのが、バイク事故の恐ろしいところです。魔に差されないように、いつまでも『不慣れ』でバイクを運転してください。
合掌
