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【ツーリングガイド】南島原を走る

南蛮文化伝来の地であり、さまざまな文化が栄えた
豊かな海の幸、麺文化や砂糖による菓子など
食においても日本の国をリードしてきたエリアだ
火山活動が生み出した美しい大地をバイクで旅しよう

火山とともに生きてきた南島原の風土に触れたい

島原半島といえば雲仙普賢岳の平成噴火を思い出す。寛政時代にも噴火があったという記録があるそうだ。古くから火山の近くで暮らした人々はその時の教訓を伝えてきた。平成噴火の被害の記憶を風化させないように、被災した建物がいくつか保存されている。南島原市深江町の旧大野木場小学校被災校舎や、土石流被災家屋保存公園などが、当時の火砕流と土石流の激しさを今に伝えている。

火山は時に大きな災害を我々にもたらすが、その一方で多くの恵みを与えてくれるのも確かだ。噴火による山や岩が織りなす景観や、温泉、地域に栄えた産業は、雲仙火山の恩恵である。単なる観光資源にとどまらず、火山活動と人々の暮らしはユネスコ世界ジオパークに認定されている。

この地形から生まれた巨人伝説があるのをご存じだろうか。

昔むかし、高岩山に気立てが良くて力もちの大男が住んでいた。みそが大好物で、畑仕事や山の開墾を手伝っては、みそを分けてもらっていたという。村人たちは親しみを込めて「みそ五郎やん」と呼んだ。朝起きると雲仙岳に腰かけて、有明海で顔を洗ったというからスケールがでかい。湯島や空池ができたのも彼の仕業らしい。

ある日のこと、嵐で港の船が次々に沖に流されてしまった。漁師たちはつなぎ止めようとしたが歯が立たない。それを見ていたみそ五郎は、嵐の海に入って船を何隻もつなぎとめて陸に戻した。村人たちは感謝の意を込めて、みそ五郎にたくさんのみそを送ったという。みそ五郎は南島原市民の伝説のヒーローなのである。

興味深いこの地は、我々ツーリングライダーにとって、山、海、温泉、グルメが揃った絶好のツーリングスポットだ。さあ行こう!

南島原市役所駐車場にある伝説の巨人「みそ五郎」像


険しい山と穏やかな海のコントラストが新鮮だ

雲仙普賢岳は今でも温度が高いのか、中腹から生まれた雲が、いまだに山肌をあらわにした新山の頂上に向かって登っていく。

雲仙仁田峠第2展望所にBMW R18Bを停め、雲海に浮かんだ普賢岳を眺めていたが、あっという間に雲と霧に包まれた。景色をあきらめて走り始めると、2つ目のカーブを抜けた途端晴れている。いかにも山の天気らしくて笑うしかない。

島原の道はあまり太くはないが舗装の状態は良好で、清掃が行き届いているのか冬枯れた山でも走りやすい。加えて交通量も多くないのでバイクでのクルージングに向いている。爽快だ!

山を下って海沿いを南下していく。家並みを右手に、海岸線を左手に見ながら市街地に入っていく。地元のスーパー周辺は交通量も増えて活気がある。

南島原の西側は延々と海を見渡せるシーサイドラインが続いている。先端の瀬詰崎灯台は今も明かりがともる現役の灯台だ。夕日の名所として名高いが、そこに至る道は細くクルマのすれ違いは難しい。ここでいいの? と思い始めるころに、畑の向こうに海が開けてくる。

この先にも白浜海水浴場や、ブランコで映えスポットとして注目の前浜海水浴場など夕日スポットが続く。

海沿いの国道251号南有馬町に、長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の一つである世界文化遺産「原城跡」がある。その昔、阿蘇の噴火でできた三方を海に囲まれた自然の要塞を利用して、領主・有馬晴信が城を築いたという。

島原・天草一揆最後の舞台となった悲惨な場所は、今では美しい公園のように整備されている。島原・天草一揆において、わずか15歳でキリシタンの救世主として一揆軍を率いて幕府軍と戦い、原城に籠城して非業の死を遂げた天草四郎。これを契機に長いキリスト教弾圧と鎖国に突入していくのである。大昔の話のようだが、研究のための発掘は、今も続いている。有馬キリシタン遺産記念館には出土した遺骨のレプリカ、十字架やメダイなどのキリシタン遺物が展示されている。

幕府軍も千人以上が命を落とし、一揆軍はなんと3万7千人が虐殺され原城の敷地内に埋められた。亡くなった人の数を考えれば、まだまだ遺骨が埋まっていることだろう。改めて自由や平和を考えさせられる一日となった。

それにしても250年間の弾圧に耐え、宣教師不在の世の中で孫子の代まで信仰を伝えたことは本当に奇跡だと思う。

雲仙グリーンロード
島原半島の小浜温泉方面と口之津方面をつなぐ雲仙グリーロード。美しい海と個性豊かなだんだん畑が織りなす風景の中を、のんびりと駆け抜ける。花房展望所あたりで休憩したい。

DATA

花房展望所付近

瀬詰崎灯台

島原半島南端に位置し、有明海の入口を示す灯台として今も航海の安全を見守っている。高台にハートのリングがかわいい「幸せの鐘」があり、撮影スポットとしても人気が高い

DATA

長崎県南島原市口之津町

原城跡

1496年に有馬晴信によって築城された城。廃城となっていたこの城に、天草四郎率いる一揆軍が最後に籠城し、島原・天草一揆の終焉の地となった。発掘調査が一段落して本丸跡が原城公園となっている。

DATA

長崎県南島原市南有馬町丁
TEL0957-73-6632
http://www.city.minamishimabara.lg.jp/sekaiisan/

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