体格のハンデもものともせず31勝を飾った凄さ【ダニ・ペドロサ】

TEXT&ILLUSTRATIONS/M.MATSUYA

イラストレーター松屋正蔵が描く熱狂バイククロニクル

今回取り上げるのはダニ・ペドロサさんです。「ダニって変わった名前だなあ」と思っておりましたら、実はダニエル・ペドロサがフルネームだったようです。これまで、本連載は’80年代から徐々に現在まで進んでまいりましたが、今回のペドロサさんからは、MotoGP時代に足を踏み入れていこうと思っています。

ペドロサさんを考察する時にまず出てくるのが、小柄であることです。調べましたら身長158cm、体重51kgだそうです。この身体で250psを優に超えるMotoGPマシンをコントロールすることになった時、周囲の関係者、ジャーナリストからは無責任な声が上がり、「ペドロサでは無理だ!」という声が囁かれたそうです。ところが引退した今、ペドロサさんのMotoGPでの成績を振り返ってみると、なんと通算31勝を記録しているのです。残念ながら世界チャンピオンには届きませんでしたが、凄い成績です。

ペドロサさんは、’01年の世界GP125からフル参戦を始め、’03年にはGP125の世界チャンピオンになっています。’04〜’05年はGP250にステップアップし、2年連続で世界チャンピオンとなりました。このあたりからGPファン達もペドロサさんの速さに気付き始め、注目が集まり出しました。実は僕もその内の一人です。

そして’06年から、ついにホンダワークス入りしてMotoGPに昇格。レプソルカラーのRC211Vを駆ることとなりました。そして前述した噂も流れる中、早くもMotoGPでの初優勝を果たしました! ペドロサさんはMotoGPには’06〜’18年まで、レプソルホンダのワークスライダーとして走りました。13年間レギュラーライダーとして走り、毎シーズン1桁のポジションでランキング入り(しかも2位などの高い順位)し続けました! 凄い実績です。

GP125/250では世界チャンピオンを獲得したダニ・ペドロサさん。MotoGPに昇格してからも、小柄な身体で強烈なパワーのマシンをコントロールし、通算31勝を挙げました。引退後はKTMのマシンを開発。ペドロサさんが加わった後、KTMは優勝を狙える位置を走れるようになりました
GP125/250では世界チャンピオンを獲得したダニ・ペドロサさん。MotoGPに昇格してからも、小柄な身体で強烈なパワーのマシンをコントロールし、通算31勝を挙げました。引退後はKTMのマシンを開発。ペドロサさんが加わった後、KTMは優勝を狙える位置を走れるようになりました

それともう一つ、ペドロサさんのチームメイトが、これまた凄いのです。彼がホンダワークス入りした’06年のチームメイトはニッキー・ヘイデンさんで、このシーズンに世界チャンピオンに輝いています。そして’11年には、このシーズンからドゥカティからレプソルホンダに移籍して来たケーシー・ストーナーさんが、そのまま2回目(1回目はドゥカティ)の王座を獲得しました。さらに’13年からレプソルホンダ入りし、その年にチャンピオンとなったマルク・マルケス選手もいます。

そうなんです、ペドロサさんのチームメイトとなったライダーは、世界チャンピオンが多いのです! ですが当の本人は、残念ながらチャンピオンには手が届きませんでした。何とも皮肉な状況だったのです。チームメイトに恵まれたのか、進む道を遮られたのか、解釈が難しいところです。ですが、彼のマシン開発能力の高さは、後のKTMでの活躍で証明されています。

ペドロサさんは、’18年に引退を発表したものの、翌’19年からは前述の通り、MotoGPにフル参戦を始めたKTMのテストライダーとなり、’24年までスポット参戦しながら、マシン開発を担当しました。ペドロサさん加入後のKTMはグングンと速くなり、マシンのセットが決まった際には優勝を飾ることもありました。

MotoGPライダーとしての実績も凄かったのですが、開発ライダーとしてのその手腕も、関係者、ファンを唸らせるものなのです。彼のマシンへの理解力、セッティング能力、そして開発力の高さが証明されたわけです。このポテンシャルを考えた時、ホンダが彼を手放したことが、どれだけ後のホンダに影響を与えたのか、ついつい考えてしまいます。

ペドロサさんのライディングの考察といきたいのですが、その前に思っていることがありまして、僕の中では、大ちゃんこと加藤大治郎さんとライディングのイメージが重なるのです。お互い小柄であることが、その大きな理由なのですが、その他にもコーナーへのアプローチの感じが似ているように思えます。

ペドロサさんのチームメイトは世界チャンピオンがズラリと並んでいます。レプソルホンダが強い時代でしたから、当然と言えば当然かも知れませんね
ペドロサさんのチームメイトは世界チャンピオンがズラリと並んでいます。レプソルホンダが強い時代でしたから、当然と言えば当然かも知れませんね

2人とも、減速時にリアに影響を及ぼすような、強く激しい減速をしない感じなのです。フロントブレーキが強すぎないと言いましょうか。コーナーに対しての寝かし込みも早い方なので、コーナリングスピードが高いライダーの特徴を持っていました。この点が加藤大治郎さんとイメージが重なって見えていたのだと思うのです。

小柄で体重が軽いという共通点が、そこには大きな意味を持つと思うのです。あのまま加藤大治郎さんが走り続けていたら……と、ペドロサさんを通じて想像してしまいます。

彼のライディングフォームは、外足は開かずマシンに綺麗に沿わせるようなリア乗りをしており、背筋も自然に伸びていました。MotoGPに乗るようになってからは、上体がイン側に強めに入るようになり、非常に戦闘的なフォームに変わっていきました。

個人的にペドロサさんに対して思うのは、転倒リタイアや怪我の影響で欠場したレースが多かったため、シーズンを通じては勝ち切れなかった、ということです。小柄で体重も50kgを少し超える位でしたから、加速でトラクションが抜けやすく、コンピューター制御が早めに効いてしまい、立ち上がりスピードがつらい状況になっていたのではなかったのかな? など、色々考えてしまいます。

コーナーの早い段階からマシンを倒しこむなど、体格の不利を乗り方でカバーしているように見えたペドロサさん。マシン開発において、優れた才能を発揮しています

チャンピオンにはなれなかったとは言え、MotoGP通算31勝をしていますから、やはり、怪我さえ少なければ……という結論に行き着いてしまうのです。

そう言えば彼が被っていたアライヘルメットの「侍」デザインは、強く印象に残っています。侍のような強い意志を持って、レースに挑んでいたのだろうなと、ダニ・ペドロサというライダーに対して、敬意を持っています。

完全に余談ですが、侍と言えば、昨年公開されて人気の映画『侍タイムスリッパー』をご覧になりましたか? 面白くて、僕はもう5回ほど観ています。

最後に、ペドロサさん、ホンダに戻って来てくれないかなぁ。

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