
絡み合う条件で編まれる「レーサー」の条件【イデミツ・ホンダLCR MotoGPマシンデザイナーインタビュー】
2025年、タイGPで母国の大きな声援を浴びたソムキアット・チャントラが走らせていたイデミツ・ホンダLCRのマシン。これをデザインした日本人デザイナー、岸敏秋さんに話を聞いた。
PHOTO/Takanao TSUBOUCHI, Satoshi ENDO, SOLIZE
TEXT/Eri ITO
取材協力/SOLIZE https://www.solize.com/
タイ人ライダーの挑戦に生まれた新しいデザイン
タイで開幕を迎えた2025年シーズンのMotoGPで注目を集めた一人が、タイ人ライダーのソムキアット・チャントラだ。今季MotoGPクラスに昇格したチャントラは、イデミツ・ホンダLCRのMotoGPマシンでデビューを果たした。
このマシンのカラーリングをデザインしたのが、イデミツ・ホンダLCRのスポンサーであるSOLIZEをデザインサポートしている、フリーランスデザイナーの岸敏秋さんである。
岸さんの前職は本田技術研究所のデザイナー/マネージャーで、42年間にわたりホンダの主に大型スポーツバイク、たとえばCB1000/1300スーパーフォアやRC45などのスタイリング開発に携わってきた。本誌の読者なら誰もが知っている市販車を手がけてきた人物だ。
ホンダでの仕事の中では、レーサーのデザインも経験している岸さんだが、キャリアの多くは市販車、つまりプロダクトデザインに関わっていた。そんな岸さんがLCRのMotoGPマシンに関わるようになったのは2018年仕様からである。
もともと自身のスタンスとして「カラーリングはスタイリングを際立たせるアイテム」と捉えており、カラーリングにも強い関心を抱いていた。また、個人的にMotoGPが大好きだったこともあり、中上貴晶が2018年にMotoGPクラスに昇格する際、岸さんに声がかかったのだという。

「私はそれを仕事だとはとらえていなかったんですよ」と、岸さんは穏やかに語る。ホンダ在職当時、LCRのカラーリングデザイン作業は“プライベートワーク”として行っていたというから驚きだ。
以来、中上が駆り、チャントラにバトンを渡されたイデミツ・ホンダLCRのカラーリングは岸さんが手がけてきた。近年では、LCRのもう一つのシートであるカストロール・ホンダLCRや、Moto2およびMoto3のホンダ・チームアジアのカラーリングにも関与している。
ただし、MotoGPマシンの場合には多くの条件が付随する。最大の要素はスポンサーの意向だ。
「今年のカラーリングについては、使っているモチーフやアイコンは一切変えていません。レーサーの場合、カラーリングはHRCのバイクのカウル形状に大きく影響されます。特に、いかにきれいにアポロマークの顔を置くかは常に腐心するところです。
出光興産のCI(コーポレート・アイデンティティ)レギュレーションがありますので、アポロマークの大きさやイデミツのロゴとのバランス、使用する赤の色、アポロマーク周辺の余白まで細かく決まっています。そうしたCIの制約と、全体のラインのコントロールを日欧間でリモートで行うのは非常に難しいですね。

企業が大きくなるほど、そういうコントロールがシビアになるのは当然ですが、できるだけクオリティを上げられるよう、ルーチョさん(LCR代表)には随時リクエストを出しています」
聞けば聞くほど、複雑な条件の中で進められている作業だ。だが岸さんは「プロダクトデザインもそうですが、条件を抜きにして語れない世界。そこに苦はなく、当然のこととしてデザインを楽しんでいます」と語る。
もちろん、そんな中でもイデミツ・ホンダLCRのマシンには、岸さんの工夫と挑戦が詰まっている。
「今年はサイドビューに、アポロマークのヘアラインのモチーフを初めてグラフィックの中に入れたんです。現在のアポロマークは新しいものになっていますが、私は以前のものがとてもいいと思っていた。それを前面に押し出すカラーリングにトライしたいと考えました。

『あまりカラーリングを変えなくていい』とは言われていましたが、7年ぶりにライダーが変わってチャントラになったでしょう。新しいチャレンジに、タイ人ライダーもとても燃えているので、カラーリングにもそうした新鮮さを加えたいと思ったんです。
それから、フェースデザインが大きく変わりました。レーシングマシンを横から見ることはあまりなく、正面や斜め前が多いですよね。顔のデザインは印象を決定づける上でとても重要です。今回はそこを重点的に取り組んで、白とダークブラウンの塗り分けラインを、中上選手のマシンとは異なる方向性で取り入れました。ライダーが変わるので、フレッシュな印象を持たせたいと考えました」
多くの条件があるなかで、美しく新しいカラーリングを施し、さらに挑戦を続けていく姿勢は、まさにMotoGPライダーの姿に重なる。彼らもまた、自らの“手の内にあるもの”を一滴残らず絞り出して戦っているのだ。
戦い方は違えど、MotoGPという最高峰の舞台は、あらゆる面において究極の集合体である。イデミツ・ホンダLCRのマシンは、新たな美しさと格好よさをまとい、2025年シーズンを駆け抜ける。