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絡み合う条件で編まれる「レーサー」の条件【イデミツ・ホンダLCR MotoGPマシンデザイナーインタビュー】

2025年、タイGPで母国の大きな声援を浴びたソムキアット・チャントラが走らせていたイデミツ・ホンダLCRのマシン。これをデザインした日本人デザイナー、岸敏秋さんに話を聞いた。

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【SOLIZE契約デザイナー|岸 敏秋さん】
1958年生まれ。1981年、本田技術研究所入社。42年間にわたり、デザイナー及びマネージャーとして多くの大型スポーツバイクなどのスタイリング開発に携わる。2024年2月よりSOLIZEとフリーランスデザイナーとして契約

PHOTO/Takanao TSUBOUCHI, Satoshi ENDO, SOLIZE
TEXT/Eri ITO
取材協力/SOLIZE https://www.solize.com/

タイ人ライダーの挑戦に生まれた新しいデザイン

タイで開幕を迎えた2025年シーズンのMotoGPで注目を集めた一人が、タイ人ライダーのソムキアット・チャントラだ。今季MotoGPクラスに昇格したチャントラは、イデミツ・ホンダLCRのMotoGPマシンでデビューを果たした。

このマシンのカラーリングをデザインしたのが、イデミツ・ホンダLCRのスポンサーであるSOLIZEをデザインサポートしている、フリーランスデザイナーの岸敏秋さんである。

岸さんの前職は本田技術研究所のデザイナー/マネージャーで、42年間にわたりホンダの主に大型スポーツバイク、たとえばCB1000/1300スーパーフォアやRC45などのスタイリング開発に携わってきた。本誌の読者なら誰もが知っている市販車を手がけてきた人物だ。

ホンダでの仕事の中では、レーサーのデザインも経験している岸さんだが、キャリアの多くは市販車、つまりプロダクトデザインに関わっていた。そんな岸さんがLCRのMotoGPマシンに関わるようになったのは2018年仕様からである。

もともと自身のスタンスとして「カラーリングはスタイリングを際立たせるアイテム」と捉えており、カラーリングにも強い関心を抱いていた。また、個人的にMotoGPが大好きだったこともあり、中上貴晶が2018年にMotoGPクラスに昇格する際、岸さんに声がかかったのだという。

岸さん(右)は「中上選手(左)が久々の日本人MotoGPライダーとして、挑戦するのを目の当たりにできたのはうれしかったですね」と、2018年が特に思い出深いという

「私はそれを仕事だとはとらえていなかったんですよ」と、岸さんは穏やかに語る。ホンダ在職当時、LCRのカラーリングデザイン作業は“プライベートワーク”として行っていたというから驚きだ。

以来、中上が駆り、チャントラにバトンを渡されたイデミツ・ホンダLCRのカラーリングは岸さんが手がけてきた。近年では、LCRのもう一つのシートであるカストロール・ホンダLCRや、Moto2およびMoto3のホンダ・チームアジアのカラーリングにも関与している。

ただし、MotoGPマシンの場合には多くの条件が付随する。最大の要素はスポンサーの意向だ。

「今年のカラーリングについては、使っているモチーフやアイコンは一切変えていません。レーサーの場合、カラーリングはHRCのバイクのカウル形状に大きく影響されます。特に、いかにきれいにアポロマークの顔を置くかは常に腐心するところです。

出光興産のCI(コーポレート・アイデンティティ)レギュレーションがありますので、アポロマークの大きさやイデミツのロゴとのバランス、使用する赤の色、アポロマーク周辺の余白まで細かく決まっています。そうしたCIの制約と、全体のラインのコントロールを日欧間でリモートで行うのは非常に難しいですね。

今季はフロントカウル左右の空力デバイスが赤に塗装された。ゼッケンの背景はダークブラウン。これは、出光興産のハイグレードオイルのボトルカラーが用いられている
今季はフロントカウル左右の空力デバイスが赤に塗装された。ゼッケンの背景はダークブラウン。これは、出光興産のハイグレードオイルのボトルカラーが用いられている

企業が大きくなるほど、そういうコントロールがシビアになるのは当然ですが、できるだけクオリティを上げられるよう、ルーチョさん(LCR代表)には随時リクエストを出しています」

聞けば聞くほど、複雑な条件の中で進められている作業だ。だが岸さんは「プロダクトデザインもそうですが、条件を抜きにして語れない世界。そこに苦はなく、当然のこととしてデザインを楽しんでいます」と語る。

もちろん、そんな中でもイデミツ・ホンダLCRのマシンには、岸さんの工夫と挑戦が詰まっている。

「今年はサイドビューに、アポロマークのヘアラインのモチーフを初めてグラフィックの中に入れたんです。現在のアポロマークは新しいものになっていますが、私は以前のものがとてもいいと思っていた。それを前面に押し出すカラーリングにトライしたいと考えました。

岸さんのスケッチの一部で、アポロマークの斜め上部にヘアラインが入っているのは岸さんによるデザイン。昨今は空力デバイスのアップデートが頻繁で、現場のペインターが大変苦労しているのだそう
岸さんのスケッチの一部で、アポロマークの斜め上部にヘアラインが入っているのは岸さんによるデザイン。昨今は空力デバイスのアップデートが頻繁で、現場のペインターが大変苦労しているのだそう

『あまりカラーリングを変えなくていい』とは言われていましたが、7年ぶりにライダーが変わってチャントラになったでしょう。新しいチャレンジに、タイ人ライダーもとても燃えているので、カラーリングにもそうした新鮮さを加えたいと思ったんです。

それから、フェースデザインが大きく変わりました。レーシングマシンを横から見ることはあまりなく、正面や斜め前が多いですよね。顔のデザインは印象を決定づける上でとても重要です。今回はそこを重点的に取り組んで、白とダークブラウンの塗り分けラインを、中上選手のマシンとは異なる方向性で取り入れました。ライダーが変わるので、フレッシュな印象を持たせたいと考えました」

多くの条件があるなかで、美しく新しいカラーリングを施し、さらに挑戦を続けていく姿勢は、まさにMotoGPライダーの姿に重なる。彼らもまた、自らの“手の内にあるもの”を一滴残らず絞り出して戦っているのだ。

戦い方は違えど、MotoGPという最高峰の舞台は、あらゆる面において究極の集合体である。イデミツ・ホンダLCRのマシンは、新たな美しさと格好よさをまとい、2025年シーズンを駆け抜ける。

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【LCRチームマネージャー|ルーチョ・チェッキネロさん】
2018年から岸さんと仕事をしていますが、オープンマインドで、レースとデザインの両方を深く理解しているのが素晴らしいですね。バイクは美しく、そしてアグレッシブさを感じさせるべきですし、同時に実用的でなければなりません。
毎年多くのパーツを塗り直さなくてはなりませんし、クラッシュのたびに補修や再塗装が必要になりますからね。 今年、岸さんと取り組んだのは、どの角度から見ても「イデミツのバイク」だと分かるデザインを作ることでした。以前は、正面から見たときにダークブラウンと白が強く出ていて、イデミツのコーポレートカラーがあまり目立っていませんでした。
そこで、どんな角度から見てもイデミツの存在感が伝わるように改良しつつ、ダークブラウン×白×赤という基本の3色を尊重したデザインに仕上げました。それが、今季のデザインのコンセプトです。

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