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「今、バイクが本当に 楽しい」平忠彦×原田哲也 SPECIAL対談

SPECIAL対談

元世界グランプリチャンピオン
本誌アドバイザー
原田哲也

88年、全日本ジュニア選手権で全戦優勝を果たし、89年からヤマハ・ファクトリー入り。92年に全日本ロード250㏄クラスチャンピオンを獲得し、翌93年に世界GP250㏄クラス参戦初年度に王座に就く

元全日本ロードレースチャンピオン
タイラレーシング代表
平忠彦

83〜85年、3年連続で全日本ロード500㏄クラスでチャンピオンに。86〜87年は世界GPでも活躍した。ヤマハ・ファクトリーライダーとして鈴鹿8耐に参戦。4度のリタイヤを経て、90年に悲願の優勝

日本の二輪レース界にあって、「巨星」と呼ぶにふさわしい偉大な足跡を残した元ヤマハ・ファクトリーライダーの先輩と後輩が今、バイクについて思いっ切り語り合った。そこにあるのは決して揺らぐことのない、ピュアな情熱だった。

仕事としてバイクに乗ったシビアな日々

 ふたりには、共通点がある。レーシングライダーとして注目を集め、大きな成果を残したこと。徹底してプロフェッショナリズムを貫き通したこと。現役引退後も、バイクを楽しんでいること。そして、お互いを尊敬していること。 

平忠彦さんは、14歳年下であり、ヤマハ・ファクトリーライダー時代の後輩にあたる原田哲也さんに対して、決して敬意を忘れない。

「哲也くんは、世界チャンピオンなんだよ? 本当にすごいことなんだから」

と相好を崩す。一方の原田さんは、

「平さんがいたからこそ、日本のレースが盛り上がった。その後に続いた僕たちは、平さんのおかげでずいぶんと楽ができたんです」

と言う。

平さんは、日本の二輪レースブームを牽引した。草刈正雄が主役を演じて話題となった82年の映画「汚れた英雄」のレースシーンは、平さんがマシンを走らせた。長身のハンサムだったからだ。世界グランプリに参戦したのは、まだ日本と世界に大きな壁がそびえ立っていた時代のことだ。86年に250㏄クラスで1勝し、87年に500㏄クラスで3位表彰台を1回獲得するに留まった。85年からは、資生堂をスポンサーに、男性用化粧品「T E C H21」カラーに塗られたマシンを駆り、ヤマハ・ファクトリーチームから鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦。悲劇的なトラブルによるリタイヤが続いた。5年目の90年に悲願の優勝を果たした時には、鈴鹿サーキットに押しかけた大観衆が揺れた。日本のレースブームの頂点だった。

 一方の原田さんは、89年からヤマハ・ファクトリーライダーとなり、92年に全日本ロード250㏄クラスでチャンピオンを獲得。翌93年に世界グランプリ250㏄クラスにデビューすると、いきなりチャンピオンに。世界に鮮烈な印象を与えた。

「青天の霹靂、とはこのことでした」

と、平さんは振り返る。

「もちろん、速いライダーだとは思っていましたよ。でも、ここまでやるとは……。日本のライダーもついに国際人になったな、と感慨深いものがありました。自分も世界グランプリを戦ったから、あの場で勝つことがいかに大変かは、身をもって知っている。哲也くんは、初めてのサーキットばかりを走る初めてのフル参戦で、いきなりチャンピオンを獲得した。このインパクトはとんでもなく大きかったんです」

「いえいえ、運ですよ、運」

と笑いながら謙遜する原田さん。平さんは

「確かに運も数%はあったかもしれない。でも、哲也くんの理解力がすごかったんだと思う。『このコースはこう走ればいいんだな』とすぐに理解して、それを実際のライディングに落とし込むことができた。やっぱり、天才。私とは違う(笑)」

平さんは92年に35歳で、原田さんは02年に32 歳で現役生活を終えた。プロとして自分で納得できる結果が残せなくなったからだ。仕事としてレースをし、それでお金をいただいている以上、チャンピオンになれないと分かった時には、すっぱりと身を引く。ふたりとも同じ考えに基づいての、見事な引き際だった。平さんは、現役中に創業していたタイラレーシングの経営に集中。バイクは常にそばにあった。だが原田さんは引退後、

「バイクを見るのも嫌でした」

と笑う。

「哲也くんは、それだけ自分を追い込んでいたんだろうね」

と、平さん。

「僕には想像できない領域まで突き詰めていたんだと思う」

正しくリスク管理することそれが乗り続ける秘訣

レーシングライダーは、もちろん、誰もが好きでバイクに乗り始める。だが、職業としてレースを戦うようになると、いつしかバイクは勝つための道具になる。私たちのような「趣味の乗り物」とは意味合いがかなり異なる。「楽しい」などとは言っていられず、常に結果に追い立てられる、極めてシビアな世界だ。 

そこで原田さんは10年を過ごし、すっかり「バイク嫌い」になってしまった。だが、本当に嫌いだったわけではない。引退してから10年ほど経ち、原田さんが再びバイクと付き合い始めたきっかけは、実に簡単なものだった。モナコに住んでいる原田さんは、ある時、峠道を自転車で走っていた。上り坂がつらい。

「ヒーヒー言いながら自転車を漕いでいたら、バイクのツーリンググループに抜かれたんです。それを見て『ああ、気持ちよさそうだな。バイクっていいな……』と」

バイク熱が一気に燃え上がった。「失われた時」を取り戻すかのように、原田さんはバイクと急接近する。

「すぐに奥さんと交渉開始ですよ(笑)。『あなたの立場なら、仕事としてバイクに乗れば、業界に恩返しできることもあるんじゃない?』というアドバイスをもらって、『確かにそういう面もあるかもしれないな』と思ったんです」
 

引退してほぼ10年間はバイクに乗らなかった原田さんが、再びバイクに乗り始めてからやはり10年ほどが経っている。今ではたびたび日本を訪れては多くのイベントなどに積極的に参加し、バイク乗りとの交流を楽しんでいる。 

平さんは、

「引退と同時に自分自身をチェンジしました」

と言う。レーシングライダーとして日本の頂点に立っていたが、引退とはそこから退くこと。新しい人生はタイラレーシングの経営者として、従業員を、そしてその家族を守ることに専念した。

「レースは派手だし、極端に刺激が強い世界。でも経営は地味で、実直に続けなければならない。いつまでもレーシングライダー時代の栄光を引きずっていたら、うまく行かなくなる」

と直感しての判断だった。だが平さんも原田さん同様に、バイクへの愛を忘れることはなかった。タイラレーシングの経営者にとってバイクは「商材」だが、それ以上の思いがあった。50歳で大病を患い、2カ月にわたり入院した。退院して最初に出社した日、平さんは真っ先にスクーターに乗ってみたそうだ。

「それ、ホントですか!?」

と驚く原田さん。

「うん、ホント」

と平さんは無邪気に笑う。

「ちゃんとバイクに乗れるか確認したくてね。そしたら、大丈夫だった(笑)。『ああ、これで復活できたな』とうれしかったのを、今でもよく覚えています」

平さんも原田さんも、レーシングライダーを退いた後も、結局のところは仕事でバイクに関わっている。そしてふたりとも、プライベートでツーリングを楽しむ。平さんは北海道へのロングツーリングを楽しみにしているし、原田さんは時間があればトライアルに興じ、愛車のセローにまたがっては地元・房総をひとりで駆ける。

「これは私の持論なんですが、バイクはリスクがあるから面白いと思っているんです」

と、平さん。

「タイヤがふたつしかないから、失敗すると転んでしまうでしょう? それを避けるためには、自分の技量を高める必要がある。公道では刻々と状況が変化するから、総合して対処しなければならない。きちんと向き合わないと、ケガをする乗り物なんです。スピードが遅ければいいってものじゃない。5㎞/hだってケガをする。だからこそ、得るものも多いんだよね。リスクを自分でマネージメントできるってことは、とても大事なことだと思う」

「まったく同意します」

と原田さんは力強く頷いた。

「僕と平さんは、ありがたいことに、大きなケガなくレース人生を終えることができた。だからこそ今、こうしてバイクを楽しむことができる。レースでマシンの限界を追い求めながらも、平さんのおっしゃるリスクマネージメントができたのかな、と思います」 

平さんも、

「そうそう、今こうしてバイクに乗れるって、本当にありがたいことだよね」

と笑う。原田さんが言う。

「僕、もうひとつバイクに魅力を感じるポイントがあるんです。それは、バイク乗りなら知らない人とでもすぐに仲良くなれること。バイクの話題になると、年齢も職業も関係なく、打ち解けられて、話も弾む。僕、現役時代には『クールデビル』なんて言われてましたが、実はおしゃべり好きなんです。今はバイクを介していろんな方たちと話せるのがすごく楽しい。こんなこと言うのは恐れ多いんですが、平さんともツーリングに行きたいなあ!」

「世界チャンピオンにそんなことを言ってもらえるなんて、こちらこそ光栄ですよ。ぜひ一緒にバイクで出かけよう!」


 それぞれに苛酷なレーシングライダー時代を過ごし、それでもなお、バイクを楽しみたいという気持ちは変わらない。もしろ、強まっている。ふたりの共通点にもうひとつ付け加えるなら、「生粋のバイク乗り」ということだろう。

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